大阪高等裁判所 昭和38年(ネ)471号 判決 1964年7月16日
控訴人 武藤六三郎
右訴訟代理人弁護士 岡本治太郎
被控訴人 泉尾鋼材株式会社
右代表者代表取締役 野村忠
右訴訟代理人弁護士 阿部甚吉
太田忠義
滝井繁男
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は、控訴人の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
一、控訴人および訴外纐纈佐喜太郎がいずれも菊水工業の代表取締役であつたこと、右纐纈が菊水工業の代表取締役として被控訴会社に対し鋼材を買い受けたい旨申し込んだので、被控訴会社においてこれを承諾し昭和二七年三月四日頃被控訴会社主張の鋼材合計一六トン当り単価四万五、〇〇〇円、代金合計七二万円と定めて菊水工業に引き渡し、菊水工業からその代金支払方法として本件約束手形(振出日昭和二七年三月四日、金額七二万円、満期同年五月二日、支払場所株式会社十六銀行小熊支店、支払地および振出地岐阜市、受取人被控訴会社、振出人菊水工業取締役社長控訴人)の交付を受けたことは、当事者間に争がない。
二、被控訴人は、右取引は控訴人と訴外纐纈の両名が共同して、代金支払の意思がないのにこれあるように装つて被控訴人を欺罔し、売買名義で右鋼材一六トンを騙取したものに外ならないから、控訴人において共同不法行為の責に任ずべきであると主張する。
しかしながら、甲第二号証の本件約束手形に菊水工業の代表者として控訴人の記名押印のある事実(当事者間に争がない。)は後記証拠に対比し、控訴人が本件取引に関与した証拠となすに足らず、他に控訴人が本件取引を指揮命令し、又は、これに現実に関係した事跡を認めるに足る証拠は全くない。かえつて、≪証拠省略≫によれば、本件取引は菊水工業の専務取締役纐纈が社長たる控訴人の了解を得ることなく被控訴会社との間に商談を成立させたものであり、同訴外人において控訴人から使用を許され預つていた控訴人氏名のゴム印、社長印を使用し菊水工業代表者控訴人振出名義の本件約束手形を作成被控訴会社に交付したこと、被控訴会社から送付された前記鋼材は纐纈において他に処分し菊水工業の債務の弁済に充てたこと、控訴人は本件取引および右鋼材の処分につきこれを指揮命令したこともなければこれに現実に関与したこともなかつたこと等の事実を認めるに充分である。してみると、共同不法行為を原因とする被控訴人の請求は、その余の点について判断するまでもなく失当であるといわなければならない。
三、次に、被控訴人は、控訴人が菊水工業の代表取締役社長として会社に代わり訴外纐纈を監督すべき地位にあつたから、同訴外人の詐欺行為について民法七一五条二項により責を負うべきものであると主張する。
しかしながら、前顕各証拠によれば、訴外纐纈は菊水工業の代表取締役として会社のために本件取引をなしたものであり、かねて控訴人から取締役社長控訴人名義で手形を振り出す権限を与えられていたので、該権限に基き本件約束手形を振り出したものであること、本件取引にあたり右訴外人に詐欺の意思があつたとまでは認められないこと等の事実を確定することができる。してみると、右訴外人の行為が不法行為を構成するということはできない。(控訴人は、一たん、訴外纐纈が自己個人の債務整理のため菊水工業名義を冒用して本件取引をなし、その代金支払方法として偽造に係る本件約束手形を被控訴人に交付したと主張し、後にこれを撤回したが、右自白は前記認定に照し真実に反し錯誤に出たものと認められるので、その撤回は許さるべきである。)
のみならず、纐纈がなした本件取引につき控訴人が菊水工業に代つて事業を監督する者に該当しないとの点については、当裁判所も原審と見解を一にするので、原判決一一枚目表四行目からその裏八行目までの記載をここに引用する。
よつて、被控訴人の右予備的請求はいずれの点からみても理由がなく、排斥を免れないものである。
四、進んで、商法二六六条の三に基く被控訴人の請求について判断する。≪証拠省略≫を総合すれば、左の事実を認定することができる。
菊水工業は、前記纐纈において昭和二六年の岐阜市会議員選挙に落選し生活に困窮していたところから、宮崎与三一郎ら有志がこれを設立し纐纈を代表取締役として経営に当らせてきた会社である。しかるに、菊水工業の業績が不振となつたので、昭和二七年一月末頃控訴人の知人吉村博が菊水工業の業績向上のため控訴人の地位信用を利用することを企図し、控訴人に代表取締役社長に就任することを懇請し、これを承諾させた(ただし、その就任登記は同年二月一二日附でなされた。)。控訴人は、岐阜県議会議員、獣医師、弁理士として職務多忙のため右就任に乗気ではなかつたが、控訴人には責任をもたせない、名前だけ貸してくれればよいという吉村の申入によりこれに応じたものであつた。控訴人は就任のはじめ菊水工業の実権者である纐纈に会社の現況の説明を聞き、自分は多忙であるから週二、三回程度しか出社できないとことわつて、社長印および自己の氏名のゴム印を纐纈に預け、菊水工業社長たる自己の名において手形、小切手を振り出す権限(金額を制限することなく)をも同人に委ね、会社には社長の席も設けず、その後辞任までの間二、三回会社に立ち寄つただけで、業務一切を纐纈に任せきりにしていた。その間に纐纈は前記のように控訴人の了解をうることなく、訴外山川儀市郎、川野武男を通じ被控訴会社と本件取引をしたものであるが、買入に係る鋼材は被控訴会社に対しては岐阜市役所に納入するというふれ込みであつたにかかわらず、着荷後は、これを訴外森島実に転売し代金はことごとく菊水工業の旧債に充当してしまつた。のみならず、菊水工業は本件約束手形振出後僅か一週間の同年三月一二日頃大商毛織に対し振り出した約束手形を不渡りとし、更にその直後訴外渡辺某に対し振り出した約束手形をも不渡りとした。その結果菊水工業は再起不能に陥り遅くとも同年四月中には店舗を閉鎖し整理に入るのやむなきにいたつたのであるが、控訴人はこれに先だち纐纈が支払手形を不渡りとするような不始末をしたことにいたく立腹し同年三月一六日頃菊水工業事務員白木健治を呼び寄せ代表取締役を辞任し菊水工業と関係を絶つ旨記載した書面を同人に交付した(ただし、辞任登記は同年五月一〇日附でなされた。)。本件約束手形は、同年五月二日満期が到来したが、もとより菊水工業にその支払をなす資力はなく不渡りとなり、被控訴会社は本件鋼材代金七二万円を回収し得ざるにいたつたものである。
以上のように認められ、≪証拠の認否省略≫他に右認定を左右するに足る証拠はない。
右認定によれば、菊水工業は、その資産状態が本件取引当時悪化していたものと推認され、その後旬日ならずして不渡手形を出し再び立つことができなかつた経過に徴すると、訴外纐纈は菊水工業が本件約束手形を満期に支払うことができないことを容易に予見し得たにかかわらず、取締役としての注意義務を著しく怠つたためその支払の可能なることを軽信し本件取引をなした結果、本件約束手形の支払不能により被控訴会社に本件約束手形金七二万円に相当する損害を蒙らしめたものといわざるを得ない。
しかして、代表取締役は会社代表および業務執行を掌理する機関として常に善良なる管理者の注意をもつて会社の営業および財産状態に意をもちい、会社の利益を図り、又会社使用人を指揮監督すべきことは論を俟たないが、自己のほかにも会社に代表取締役がおかれている場合においてはその代表取締役の職務執行をも監視警戒し、その過失又は不正行為を未然に防止すべき義務があるものといわなければならない。もとより、現行商法上代表取締役の選任および解任権をもつのは取締役会であつて、代表取締役は取締役会の決議に従い業務の執行をなすのであるが、このことは一の代表取締役が他の代表取締役の業務執行を監視する業務を負うことに何らの消長を及ぼすものではない。けだし、右監視義務は、代表取締役が会社のため忠実にその業務全般を統轄遂行し会社の利益を図る義務を有することから流出するものであつて、一の代表取締役と他の代表取締役との間に任免監督の関係が存しないことは右監視義務を認める妨とはならないからである。これを本件についてみても、控訴人は前認定のように菊水工業の業務一切を纐纈に任せきりとし、その結果自己の不知の間に右訴外人をして本件取引をなすにいたらしめたものであつて、これに控訴人がその就任当初から菊水工業の経営状態が不振であることを充分了承していたこと、訴外纐纈が特段に信用し得べき人物であつたことを認めるに足る証拠も存しないこと等を考え合せれば、控訴人は代表取締役として他の代表取締役の業務執行を監視しその過失又は不正行為を未然に防止すべき義務を著しく怠つていたものと解するのを相当とする。これに対し控訴人は、当時岐阜県議会議員の職にあり多忙を極め、その為菊水工業の代表取締役としての職務を行う余裕がなかつたから控訴人には過失はない旨抗争するが、かかる事由は控訴人の代表取締役の職務懈怠の責を免れしめる法律上の理由とはならないから控訴人の右主張は採用できない。
これを要するに、控訴人もまた取締役としてその職務を行うにつき重大な過失があつたというべきであり、纐纈と連帯して本件取引により被控訴人が蒙つた前記損害七二万円を賠償する義務がある。
五、次に、当裁判所もまた本件取引につき被控訴会社に過失があるものと認め、右過失を参酌して控訴人の被控訴会社に対する損害賠償額を六二万円をもつて相当と認めるものであるが、その理由は左に訂正するほか原判決理由第四項の(三)に記載するとおりであるからこれを引用する。
(一) 原判決一五枚目裏五行目に「被告会社は」とあるのを「菊水工業は」と改める。
(二) 同一六枚目裏三行目の「議論の分かれるところであるが、」から同一七枚目裏一行目の「解しても、」までを、「議論の岐れるところである。おもうに、同条の責任は、左の三点において不法行為の責任と異なつている。(イ)取締役の悪意又は重過失は、不法行為において故意過失が第三者(被害者)に対して向けられているのと異なり、会社に対する任務懈怠について存することを要し、かつ、これをもつて足りること。(ロ)本条の責任は、取締役に軽過失があるにすぎない場合には除外されていること(もし、本条の責任をもつて不法行為上の責任であると認めるならば、法律が右のように軽過失の場合を除外した合理的根拠はこれを発見しがたい。けだし、会社なる企業形態が現代社会、経済において占める地位の重要性に鑑がみ、取締役は、職務の懈怠が軽過失に出た場合といえどもこれについて責に任ずるのが当然であり、会社事務の尨大化およびその迅速処理の要請も、いまだ、悪意又は重過失の場合のみにその責任を縮減することの理由とするに足らないからである。)。(ハ)被害者の権利の侵害を要件としていないこと。以上によつて本件の責任は、商法の規定によつて課せられた特別の責任と解すべく、不法行為責任又はその変容として理解すべきものではない。しかしながら、このように解するにしても、」と改める。
六、しかして、被控訴会社が、訴外纐纈から四〇万五、四四五円の支払を受けていることはその自認するところであるから、被控訴会社に対し控訴人は右損害賠償額から右支払ずみ額を差し引いた残額二一万四、五五五円およびこれに対する訴状送達の日の翌日であること記録上明白な昭和二八年一月二一日から支払ずみにいたるまで民法所定年五分の割合による損害金を支払う義務がある。よつて、被控訴人の商法二六六条の三に基く予備的請求は右限度において理由があるが、その余の各請求は理由がないのですべて棄却を免れないものである。
右と同旨に出た原判決は相当で本件控訴は理由がないからこれを棄却すべく、民訴法三八四条、九五条、八九条により主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小野田常太郎 裁判官 柴山利彦 宮本聖司)